若かりし頃、ひどく感銘を受けた本。
ドストエフスキー『地下室の手記』。

以下、文庫背表紙より。
極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理なものであることを主張する。人間の行動と無為を規定する黒い実在の流れを見つめた本書は、初期の人道主義作品から後期の大作期への転換点をなし、ジッドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評された。
初めて読んだ時のことは今でもよく覚えています。
なにこれめちゃくちゃ面白いなと、食い入るように読んだのは、たぶん私自身もいろんな関係を絶ちたかったからだと思います。
あの頃は、仲良くしたくないのに仲良くしなくちゃいけないとか、そんなとこ遊びに行きたくないのに遊びに行かなくちゃいけないとか、とにかく意に反することの多い日常で、まあそれは私自身のだいぶ変わった性格によるところも大きかったんですけど、まわりにまったく馴染めず消耗しているところだったので、同士に出会ったようで嬉しかったんだと思います。
以下は最初の妻マリヤが世を去った翌日に書かれたドストエフスキーの日記から。
後年の研究によると、ドストエフスキーはこの日記の一節とほぼおなじ思想をこの『地下室の手記』にもちこもうとして、検閲で削除されたことが判明していると、訳者・江川卓さんの解説にありました。
「キリストの教えどおり、人間を自分自身のように愛することは不可能である。地上の人性の掟がこれをしばり、自我が邪魔をする・・・・・人間はこの地上で、自身の本性に反した理想(自他への愛を融合させたキリスト)を追求している。そして、この理想追及の掟を守れないとき、つまり、愛によって自身の自我を人々のために、他者(私とマーシャ)のために犠牲に供しえない、人間は苦悩を感じ、この状態を罪と名付ける。そして人間はたえず苦悩を感じていなければならず、その苦悩が、掟の守られた天上のよろこび、すなわち犠牲と釣合うのである。ここにこそ地上的な均衡がある。でなければ、この地上は無意味になるだろう」
■ 『地下室の手記』ドストエフスキー / 江川卓(訳)